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どうもnovaです。


今日は【絆(きずな)】ということについてお話ししていこうと思います。

人はだれかとつながっていないと不安で仕方がない生き物ですが、本来人間というものは個々では弱い、集団生活の生き物でもあるので、つながりを求める心はごく自然なこととして考えることができます。

しかしつながりを求める心はそれとなしに僕らの足にからまり自由に行動できなくする【絆】となることもあります。

今日はこのテーマでお話ししていきますので、今日もよろしくお願いします。

素晴らしき絆

絆について、一般的にはどのような印象をもつでしょうか。

僕は比較的良い印象をもっています。

友達同士の絆、家族の絆など、
そこには愛や友情といったポジティブな印象をもっています。

大震災が起こった際も「僕たち日本人」という
キャッチフレーズが沢山流されていましたが、
これも日本人同士の絆を意識したフレーズですね。


そのように良い印象のある絆という言葉です。

がしかし絆という言葉を辞書で紐解くと
必ずしも良い印象の意味ではないのです。

由来

【絆(きずな)】その由来は犬や鷹や馬などの家畜を
立ち木につないでおくための紐のことです。

漢和辞典を紐解くと【馬の足にからめてしばるひも】とあります。

そして人を束縛する義理、人情などのたとえとも。

つまり【絆(きずな)】とは注意しないと
あなたの自由を奪い行動できなくするのということです。

繋がる現代

僕らの住む現代では電話、メール、SNSなど
一昔よりもさらに広い繋がりの中で生きています。

仕事がなかったとしても誰とも何も連絡をとらない、
関わらないで生きている人は稀でしょう。

たとえ引きこもっていたとしても電話で誰かと会話したり、
そうでなくてもメールやチャットでやりとりしたり、
仮にこちらからコンタクトをとらなくても
インターネットの掲示板などを眺めて、
他人の発言を見たり聞いたりしています。

つまり僕らはいつでも他者との繋がりを求める生き物です。

反転する絆

友達や家族との絆といったときに、
素晴らしい価値を感じると同時に、
とても怖い一面もあります。

それは絆とは裏切られたという意識
と隣り合わせということです。

絆が強いが故に、場合によっては反転して裏切り、
中傷され傷つくという事態が起こることも珍しくはありません。


そもそも人間関係というものは周囲の状況に応じて変化するものですし、
自分自身の成長の方向と速度によっても変化するものです。


絆とは家族や友達の間にごく自然に生じる愛着の念や、
断ち難い一体感のようなものであり、
また他人同士の必然的な結びつきとも言えるものですが、
その裏には、寂しさを埋めるために求める人の心というものがあります。

必要以上に絆を求めていないか、
今一度、自分の心に問うてみることも大切だと思います。

まとめ

必要以上に絆を求めると、
それが本来の【絆(きずな)】の意味となっていき、
あなたの心の自由をうばい
行動できないことになっていきます。


寂しさを埋めようとするあまり、
自分達を【絆(きずな)】で縛っていないか
今一度確認してみたいところです。


今回は【絆(きずな)】ということについて、
少し違う角度からみていきましたがいかがでしたでしょうか。

今回のお話があなたの思考の一助となりましたら幸いです。

では、最後までありがとうございました。


nova