旧世界にて・・・


もっと具体的に言えば、まずは伝統的な音楽の延長線上に立つこと、
そしてそこから独自の哲学でもってオリジナルな音楽を形成すること。


それが僕の中での一流の音楽家の在るべき姿でした。


上京して音楽の専門学校を卒業した僕は焦っていました。


どの様に仕事にしていくのかに不安はなかったけれど、
自分の中で納得が出来るだけの演奏が出来ない。


ただ音楽的に成長することだけを考えてきた僕にとって仕事とは、


「一流になれば自然と発生するもの」


でしたから、

誰よりも上手くなりさえすれば良くて、
だからこそ目標はただ一つ、


「自分だけのオリジナルな演奏を打ち立てること」


それが僕の全てでした。


そんな感じだったので専門学校時代からバイトの時間というのは
人生で一番無駄な時間に感じ、

いつも焦燥感に駆られながら、二宮金次郎では無いですが、
何とかバイト中に何か一つでも音楽的に成長出来ないものかと、
いつもいつも考えていました。


そうであっても若い時分に、
無駄な時間というのは沢山あります。


睡眠時間を削るまでもなく、テレビやゲーム、
漫画喫茶、映画鑑賞、なんとなくぼーっとしている時間。


あらゆる時間が無駄に感じ、排除することを意識し、
23才の頃にテレビを捨てることを決意しました。


パソコンやインターネットも無く、
スマホなども無い頃ですから、
これで時間は大幅に増えたかというと、
そんな事はありませんでした。


それでも…


「まだ時間が足りないんです」


1日12時間とか練習したり、
24時間寝ている最中ですら
音楽のことばかり考えているのにです。


人付き合いも排除して
練習練習の日々が続きましたが


なぜか思うように演奏できない。


まぁ、これは自ら排除したというよりは、
学生時代から音楽というものを
哲学と同義語に感じていたようなタイプだったので、

自然と疎遠になっていったという側面も少ないにいのですが。笑


元々指先が器用なタイプだったので、
テクニック的に困難に感じたことって無かったのですが、
何故か弾くことが困難に感じるのです。


それでも、とにかく思いつく知らない知識を叩き込んで、
更に助けを求めるかのようにプライベート・レッスンをお願いしたりもしました。


音楽を別の角度から見る為に、オリジナルな視点を得る為に、
美術鑑賞や日本舞踊なども習い、

また数少ない似たようなタイプの人達と、
芸術、この世の現象、哲学などについて語り合い、
自分の強みを伸ばすために更に研鑽していきました。


仕事の方はというと、様々なバイトを経験し、
行き着いたところはライブハウスの厨房でしたが、
そこでも仕事中に暇を見つけては、
ギターの練習や音楽理論、コンセプトなどを学び続けていました。


もちろん従業員の仲間は白い目で見ていたでしょうが、


そんな事はお構い無し・・・


とにかく自分の納得が欲しくて、手に入らなくて、
焦燥感だけが僕を突き動かしていました。


自分のオリジナルな演奏、音楽を求めるうちに、
現代音楽を研究のために絶版となっている資料を求めて国会図書館に通ったり、
独自のコンセプトを作り出そうと数理論理学にまで手を染めようとしたりと、
そんな感じで気がつけばギターそのものや音楽の研究に没頭して


15年が経とうとするころでした。


ギター本来の弾き方というコンセプトのもとにFlamencoを学び始めましたのですが、
そこでフラメンコを本気でやっていく気はないのか?というアドバイスをされました。


僕はこれまでに、


「本気(プロとして)でやっていくつもりは無いか?」


ということを2度言われたことがありましたが
一度もその誘いに乗ったことがありませんでした。


因みに1度目は剣道、2度目は日本舞踊でした。


3度目がフラメンコ・ギターでした。


既に25歳を超えた状態で新しいジャンルでプロでやっていこうと言うのは
大きなチャレンジでしたが、

3度目の正直ではないですが当時のフラメンコの師匠の勧めもあり、
フラメンコギタリストとしてやっていこうと決め、

新たにスペイン人のフラメンコギタリストから、
伝統的なレッスンを受けることとなり、
これが僕の人生の大きな転換期となりました。


不出世のフラメンコギタリストである
ニーニョ・リカルドの一番弟子と言われたホセ・マリア・パルド。


その息子であるカルロス・パルドから
7年に渡って伝統的なレッスンを叩き込まれ、
さらに彼が長年メインで使用していた
ギターをも譲り受けることとなったのです。


師匠は数人のアーティストを僕に紹介してくれ、
徐々に友人も増えていったのですが、
中々演奏だけで食べていくことは困難で、
相変わらずのバイト生活は続いていました。


当時は東北大震災の直後で趣味の世界は本当に不況。


元々不景気だったお店や教室は何件も潰れていましたし、
みな仕事が減ったと苦しんでいながらも、
ボランティアなどは増えていました。


僕もボランティアでの演奏は本当に何件も回ったものです。


そんな不景気もあり仕事が増えずに困っていたころ、
あるスペイン人との出会いがあり、
僕を気に入ってくれて無料でレッスンを付けてくれたり、
仕事を紹介してくれたりととても懇意にして下さったものです。


ある時など寒い中で2人で6時間も練習したこともありましたし、
ディナーを頂いたり、本当に親身になってくれました。


彼のおかげで徐々に仕事も増える兆しが見え始めてきた正にそのとき・・・


日常生活への疑問・違和感

僕は苦痛を感じ始めていました。


気がつけば演奏することが辛くなっていたのです。


その時はよく分かっていなかったのですが、
伴奏の仕事(フラメンコで頂く仕事はソロ演奏の仕事はあまりなく、
殆どが踊り伴奏の仕事が多いです)が入るたびに

仕事が増えたことに喜んでいるはずなのに、
反対に何故かとても苦痛を伴うようになっていきました。


気がつけば、お金のために仕事が欲しいという気持ちに変わり、
辛いけど仕事を頂けるのだからありがたいと・・・

そういう気持ちになっていました。


楽しめていない心は誤魔化しが効かず、
それは演奏に顕著に出始め、
その演奏は僕の顔を引きつらせていきました。


現実に絶望


そうやって楽しめていないとやはり人は離れていくものです。


フリーで契約した仕事というものはセカンドチャンスは無いものです。


そういった部分は本当にシビアな世界ですから。


逆に演奏能力が低くても、
楽しさを提供できるギタリストというものは仕事が入って来るものです。


これはギタリストに限りませんよね。


この人とやっていて楽しいかどうか、
それは一緒に仕事が出来るかどうかの分かれ道です。


やがて親身になってくれた人達とも徐々に疎遠になっていき、
僕に残ったものはギターと演奏能力と知識だけとなっていきました…。


第二の転換期


元々十代の頃から子供に背中を見せれる
男になりたいという意識は高かったのですが、
やはり収入と自己実現とを天秤にかけるような
人生を歩んできたために経済面での不安から先送りになっていました。


三十五歳を過ぎて、徐々に子供をつくりたい、
家庭を持ちたいという意識が芽生え始めてきました。


自分のためだけでは無く、
女房や子供を守る力とはやはり経済力が欠かせません。


例え共働きだとしても有事の際に守ってあげれる力。


平たく言えば「稼ぐ力」ですよね。


しかし世の中の仕事は益々減っていて、
経済はより不安定になっています。


今は例え会社勤めだったとしても共働きは当たり前の時代です。


僕はそんな状況であっても歯を食いしばって稼ぐっていうのは何かが違うと思っています。


僕の在り方として成り立たないからです。


それは自分の在り方として成り立たないし、
成り立たないということは結果として

「稼ぐことは出来ても、自分で在る自信がない」

ということになります。


十代の頃から信じていたことに
「生きかつ活かす」ということがあります。


「生きる」とは「活きる」ことだと思っていて、
自分を活かすことがより良く生きることに繋がるって信じていたんです。


じゃあどうするかと考えました。


何か新しいことを始めるときには
大きすぎる目標とはどこかフワフワとしてしまいます。


地に足を付けるためには、
まずは目の前のことを出来るだけ良くしていくことからです。


そこで、そもそもの楽しむことができなかった理由を、
仕事そのものを待っているという自分のスタンスにあると思った僕は、
自分で仕事を生み出すことが必要だと思い至り、
リサイタルや教室業などを構想し始めました。


それまでにビジネスなどと言うものに微塵も興味がなかった僕が、
それと知らずに徐々にビジネスの方向へと歩み始めていたのです。


僅かな仕事と並行して僕は自分の演奏能力と知識を伝えるべく、
講師業を営みながら、どうやって仕事を生んでいけるのか。


自分で仕事を生むためにリサイタル以外には何ができるのか、
そもそも自分はどこに向かいたいのか向かおうとしているのか。


そういった新たな疑問とともに2015年の年が明け、
僕はやがて来る第二の転換期へと向かう第一歩を踏み出しました。


新世界へ・・・



2015年9月22日。


知り合いの旦那さんが週2日程度の作業で
月に100万円ほど稼いでいるって話を聞きました。


今までなら「ヘェ〜」で終わってしまっている話なのですが、
何か気になって話を聞くと、それは「せどり」という方法らしい。


同時に「せどり」に対して眉をひそめる人もいるらしく、
普段あまり話題に出さないそうな。



近くに実際に稼いでいる人がいるのであれば僕もやってみようかなと、
興味を持ち、調べてみるとどうやら在庫を抱えるビジネスらしい。


確か聞いた話だと、そのせどりで稼いでいる知人の家は一軒家で広いようだ。


在庫を抱えるのは難しいかなぁ、
と更に調べているとどうやら在庫を抱えずに
月300万円も稼いでいる人がいるようだと・・・


どうやらインターネットをつかった稼ぎ方があるらしい。


「それはアフィリエイトっていうビジネスらしい…」

「ん?コピーライティングが重要なのか・・それってなんだろ?」

「DRM・・・DDTとどう違うんだろ」

「なんか月収うん百万円とかばかり言ってて胡散臭い業界だな…」


でもものは試しでネットビジネスっていうものを学んでみるかと思い、
ドキドキしながら1つの教材を買ってみる・・・


それは情報発信をするための教材でしたが、
ブログ作成に関して初心者向けに書いておらず、
サポートも行うとのことでしたが質問もできないレベルでしたので

のっけから断念。


それでもインターネットで情報発信をしながら如何にして収入を得るのかを、
その教材や色々な人のサイトで学んでいきました。


すると徐々にその仕組みや、またネットビジネスには
色々な種類があると言うことが分かってきました。


アフィリエイトにもトレンド・アフィリやサイトアフィリ、
PPCアフィリエイト、ポイントサイト、情報発信、せどり、
輸入転売、Youtube、ヤフオクなどなど・・・


で、少し知識が付いてくると・・
そう夫々の教材を買って勉強したくなるのが
人の知的好奇心というものですよね。苦笑


知識欲とはまるでドラッグのように僕たちを蝕む訳です。


それでも知識が付いてくるとで、
メルマガのパターンが解ってきたり、
そのブログのキャッシュポイントが解ってきたりし始めます。


今度は多くのメルマガを購読し始めました。


有料・無料の様々な教材を試すうちに無料ブログを使ってみたり、
ドメイン取ってみたり、サーバーと契約してみたり、
メアドを複数取得してみたり、ポイントサイトにまで登録したりして
気がつけば色々な経験をしていました。


ネットビジネスを学ぶ中で最も僕の興味を注いだのがマインドセットでした。


そこには僕が考え積み上げてきた思考や哲学
といったものと似たような世界が広がっていました。


と言うよりも既に世の中の様々なことを音楽に繋げて考える癖がついていたので、
ビジネスも音楽として理解していったといった方が正しいと思います。


これを説明しようとすると専門用語が出てきてアレなのですが、
例えば、3という数字をみたときに僕は青をイメージしますし、
実際に3和音を思い浮かべます。


また3は1つの季節をイメージさせます。


1年は12ヶ月あって、
音も西洋音楽では12個の半音で成り立っています。


ビジネスでも、例えばジョブズのスピーチなどでも彼は3つ例を挙げることが多いですし、
多くの書籍などでも3や5や7などが使われています。


ネットビジネスにおける集客・教育・販売なども3つのカテゴリーですし・・・。


まぁ数字というものと音楽というものは相性が良いですし
(古代ギリシャで音楽は数学であり哲学でした)
数字というのは世の中のあらゆるところに登場しますから。


ちょっと話がずれちゃいましたが、
僕はそんな感じでビジネスというものを
自分なりに体系立てて勉強していきました。


ネットビジネスと言うものも、
普通にビジネスだと気がついてからは
世の中のビジネスそのものが興味の対象となり、
ますますビジネスが興味深いものとなっていきました。


そうやって学ぶ中で僕は
自分に欠けていた決定的なコトに気づかされたんですね。


それは


「人と人との繋がりの大切さ」


人との繋がりを疎かにしては何も回り始めないし、
何も変わっていかないということをビジネスを通じて学びました。


僕はお金とは価値の対価だって意識したことはありませんでした。

集客とは人との繋がりを求める心だと意識したことはありませんでした。


マーケティングを自分自身の強みや魅力、
才能を表現することって考えたことはありませんでした。


自分自身の強みや魅力、才能を
わかってくれる人に対してわかり易く表現して、
その結果あなたに共感する人たちが集まってくる。


そうやってバラバラだった人たちを繋げていく営みを
ビジネスだと考えたことがありませんでした。


これらの全てを蔑ろにして、自分の能力とスキル、
知識を高めて自分だけが成長することばかりで生きていたのだと。


それは仕事が減ってもおかしくないですよね。苦笑


楽しさとはそれだけで素晴らしい価値の提供となるのですから。


芸術とは自己表現に完結してもなりたつものですが、
価値ある作品となるためにはまだ半分で、
もう半分は周りのスタンスを取り入れるってことです。


いくら優れた芸術性を持っていたとしても、
価値とは個々人の中に存在するものですから。


生きるとは人と繋がることであり、
音楽とはその人の思考や経験であり人生そのものです。


生きなければ音楽は出来ないと。


そんなことをビジネスを通して僕は学びました。


理想世界へ・・・


そういった学びはすぐに
僕の生徒さんからの反応として現れてきました。

「ギター習ってきて、一番習っている意味を感じます。先生だからこういう捉え方で学べるんだな、と感動したりします。そして人間的な魅力を感じます」

こんな嬉しい言葉を頂けたのです。


価値の提供という側面を考えたときに、
ネットビジネスは存在そのものが次の可能性を示してくれました。


教室の中には家計の都合などレッスンを
継続することが困難になってしまう生徒さんがいらっしゃいます。


そこに音楽を教えることの限界があって
人生をより豊かにすることは出来ても、
そもそもの生活の支えとはならないんです。


そんな方に副業的にネットビジネスを
教えて挙げることが出来たらどうでしょう。


ネットビジネスでレッスン代を継続的に稼ぐことが出来れば、
逆にレッスン代に抑えることの方が難しいくらいです。


僕はネットビジネスにそんな可能性をも見出しています。


自身としては業界の実力者から、
このままブレずにやっていけば月収1000万円は当然のこと、
この業界屈指の存在にもなれるとのお墨付きを頂くことも出来ていますし、
僕自身でも既に月収100万円への道は見えています。


そんな自信が何処から来るかといえば、
僕自身が既に楽しみながら自由に創造性を持って
取り組むことに成功しているからです。


大切なことは楽しみながら自由に表現していけることです。


もちろんビジネスとして行うのですから稼ぐということ、
数字は勿論なのですが、稼ぐことと自分を表現することを
分けて考えていてはこれからの時代は継続が難しい時代なんですね。


実は今ビジネスというものは本当にクリエイティブになってきているんです。


このことはマーケティングの神様と呼ばれるフィリップ・コトラー氏も、

「今の時代は自分の才能というものを表現していく時代」

だと言っています。


多くの人は商品で差別化していこうとしますが、
自分の表現というものを持てば、
人はそれぞれ違いますから、
自ずと差別化がされるものです。


じゃあどうやったら自分というものを表現して
差別化してネットビジネスで稼いでいけるのか。


先ほどお伝えしました通り、創造性を活かしてネットビジネスで
成功していくことにより時間的にも自由に暮らせ、
さらに自由と楽さが同居する生活によって
創造性をより高めていくことが出来ますよね。


この好循環の中で更に高いステージでの
ビジネスの方向性も見えてきていますし、
さらにその先までも見据えています。


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