どうもnovaです。
今回から2回にわけてオリジナルということについてお話ししていきます。
オリジナルとは僕らアーティストにとっては最重要課題なわけですが、こうやってコンテンツクリエイターとして活動しててもやはり最重要課題です。
ですからコンテンツ作成には欠かせないこのオリジナルというものについてしっかりと理解を深めていきましょう。それではよろしくお願いします。
オリジナルとはなにか
オリジナルとは何か。これは僕らアーティストにとってはもちろんのこと、コンテンツクリエイターなどにとっても永遠の課題とも言える話ですが、このオリジナルというものについてお話ししていきます。
オリジナルとは既製品に個人や販売者が加工や機能を追加したものと捉えられることが多いですが、意味合いがちょっと異なるのでここで明確にしておきましょう。
一般的にも混同されて使われるオリジナルという言葉ですが、たとえば「これは当社のオリジナルな製品です」とういう文言をよく目にすると思いますが、これは既製品に販売者が加工や機能を追加したものですよといった意味合いです。
実際にはオリジナルな製品があってそれをアレンジした製品ということですが、一般的には既存の製品をアレンジしてオリジナルな商品が出来上がるといった使われ方がされています。
一方でアーティストやクリエイターにとってのオリジナルとは、「原型」「起源」「根源」を意味することが多いです。
つまりオリジナルな作品を作ろうといったときに自分自身の中から0から生み出そうと試みるのです。誰かのコピーでは意味がないと。
そしてビジネスシーンにおいても如何に独創的でオリジナルなものかとキャッチコピーをつけて販売されます。
真面目で真摯なアーティストほどその状況に憤りを感じつ、日々自分だけの表現を自分のなかに追い求め、結果的にそのような真摯な態度で生きるアーティストほど仕事としては成立せず、副業(本業)が必要になります。
オリジナルであることにそこまで拘ることなく適度にニーズに対応できるアーティストほど世の中に適応し仕事を得ることができます。
これは一般的な画家などのイメージを思い浮かべるとわかりやすいかもしれませんね。
これはマーケティングの世界ではマーケットインとかプロダクトアウトという専門用語で言い表されます。
→マーケットインとプロダクトアウトに関してはマーケティング講座で説明しています。
さて、ここではアーティストやクリエイターの視点から「原型」「起源」「根源」といった意味でのオリジナルで考えてみます。
僕も昔はオリジナルを0から生み出すからこそアーティストだって思っていましたし、そのためにどんどんと哲学的になっていったものです。
ですが、結論から言って今は「オリジナルは存在し無い」って考えています。
それは証明ができないからという理由です。
オリジナルは証明できない
なにをもってオリジナルかは証明できないのです。音楽のアーティストやグループひとつとってもオリジナルがどこにあるかはハッキリしませんよね。
とてもオリジナリティ溢れるアーティストだとかグループだとか言われても、え?これって誰々のパクリじゃん。
なんて感じたことは、音楽をやっている人たちであれば一度は感じたことがあるのではないでしょうか。
僕はもう感じすぎて一時は音楽の話が本当に苦手になってしまいました(苦笑)
でも遡ってもオリジナルな存在にはさらにオリジナルな存在がいる。
バッハの前にはパレストリーナや、グレゴリオ聖歌だってあるし、それ以前にもあったはずです。
つまり元ネタが。どこまでも遡れるし、遡ったところで歴史に残っているところしか認識できないしパレストリーナの時代にパレストリーナがオリジナルかどうかなんてわからない。
その時代の街角で酔っ払って口ずさむ歌がどれだけオリジナリティに溢れていたとしても、その人が仕事中に口ずさんでいるだけだったら誰にも認知されないし、歴史的にも中世ヨーロッパでは無理な話です。
気楽にYouTubeにアップできる現代ではないのですから。
じゃあ現在は?YouTubeには素晴らしい映像がたくさんあふれていますし、素晴らしいアーティストがひしめいています。
沢山いるからどの人がどの人に影響受けてなんてもうわからない(笑)
そして誰がオリジナルかなんて最早証明する意味すらないような時代です。
つまりオリジナルとは事実にはなり得ない、それはその人や世間の認識の問題でしかないってことです。
オリジナルなんて関係ない
オリジナルかどうかにこだわるのって結局は発信する側なんですよね。あとは評論家です。評論家は商品に対して付加価値をつけることに貢献しているっていう意味で評論家もふくめて発信する側ですから。
それを受け取る側の人間には関係がないんですよね。
オリジナルかどうかじゃなくて好き嫌いで決めますから。
そして好きになるとその理由付けをしたくなる、もしくはどれだけその自分が評価したアーティストがユニークな存在かってことをアピールしたくなり、どれだけオリジナルでクリエイティブな存在かっていうことを発言する。
結局のところ受け取る側に何かをもたらしたなら、オリジナルよりも価値があるってことです。
天才的な音楽家がいるとして、世の中に出てこないで身内の間だけで音楽やってたらどうなりますか?
認知されずにオリジナルにはならないわけです。
その隣人がそのひとの音楽をパクって世の中に出したらどうですか?
みなその隣人をオリジナルな存在って認知しますよね。
そもそもその天才的な音楽家も何かしらの音楽を聴いたことがあるわけで、そこから影響は受けるわけです。
つまりより重要なことはオリジナルかどうかよりも、世の中に提供することである、ということです。
自分の中でどんなに独創性をみがいたところで世の中に出さなければ意味がないんです。
そこにきて盗作っていう問題についてはやっぱり話しておかなければいけないですよね。
盗作にかんして
盗作という行為は良くない行為として、法律でも取り扱われていますが、いってみればそのまま表面だけパクるような行為ですね。これは意味がない行為なのに多くのひとが行うから法律で取り締まられるわけですし、意味がない行為なのになんで多く行われるかと言いますと、手っ取り早くお金を稼ぐためですよね。
結局悪い知恵の行為の大半がお金が絡む。
でもお金はみんな必要だし、このサイトの目的もお金を稼げるようになるための勉強の場として提供しているわけですが、パクって稼ぐことの意味のなさは長い目で見たときにあります。
パクリ続けなきゃいけないってことです。
そして一番の悲劇はそのパクった本人が何年たっても成長できないということです。
成長できなければこれからの時代はとくに稼ぐことはできなくなりますし、パクるっていったってなかなか労力がかかるわけです。隙間をつこうとするのにもいつも隙間を探して頑張っていなきゃならない、しかもそういうひとの方が多いから競争率も高く、いつかは取り締まられて隙間はどんどんなくなる。
不自由になったときに成長していない自分では何もならないですよね。
自分から何かを生み出せないことは悲劇しか生みません。
それなら生み出すひとの後ろについてサポートして生きる方がずっと世の中の役に立てるし、役に立てるっていうことは稼げるっていうことにつながります。
ここまでいった上で、僕は世の中は全て盗作だよって言いたくもなります(笑)
誤解されそうですが、0から何かを生み出すわけじゃないっていうことです。
誰でもどんなことでもどこかに着想を得ているわけですから。
例えばチャーリー・パーカーに着想を得ているひとなんて沢山いますよね。
ソニースティットなんてそれこそ表面上は似ている。
でも僕からするとエリックドルフィーだってそっくりに聴こえる。
だからどちらもオリジナルじゃないとも言える。
言えば当たり前のような話なんですけどね。
どうしても0から生み出さなければいけないってグルグルしちゃう気持ちも痛いほどわかりますから。
でもそんなことない、みんな他から着想を得ているし、得ないっていうことは不可能なのだからそこで悩みすぎなくても良いのですよっていう話です。
ここまでオリジナルというものは存在しないということでお話ししてきましたが、でも発想を切り替えることでオリジナルを存在させることができます。
ということでオリジナルというのはいかにして存在し得るのかということで次回お話ししていきます。
nova
→信じる力は創造する力に通ず